生田緑地整備事務所長との諸協議 日時 2020/1/14(火) 10:00〜11:50 場所 生田緑地整備事務所裏の倉庫、ハンノキ林地区〜下の田圃 参加者 岩田臣生 ハンノキ林地区のアズマネザサ刈りの続きを行うつもりで生田緑地に来たのですが、 生田緑地整備事務所裏の倉庫で、箕輪整備事務所長と、生田緑地マネジメント会議、排水溝に溜まる落葉、下の田圃などについて意見交換をした後、 下の田圃については現地を見ながら話すことになり、指定管理者の遠藤氏にも同行してもらい、谷戸に降りました。 ハンノキ林(A07)では、ハンノキ林を明るくするために、杉の大木 1 本の伐採、その伐採材の置き場所、壊れていた林地立入防止柵の補修(モウソウチクの交換)について協議しました。 梅畑地区(C02)では、用地買収時に地権者であった横山さんとの口約束(梅や柿の保全)があったことを説明し、ウメ、カキノキの剪定など、園地管理について協議しました。 下の田圃(B07)では、現在の隣地地主(横山さんの息子)の意向を所長から伺い、私からは、用地買収及び田圃再生時の経緯などについて説明し、対応について協議しました。 下の田圃は、2004年に、かわさき自然調査団から、北部公園事務所に対して、生田緑地に田圃をつくらせて欲しいと申し込んだことに端を発します。 北部公園事務所のホタルの里整備基本計画では、子どもたちの環境教育のための田圃の保全が位置付けられていたことから、直ぐに了解が得られました。 その田圃の場所については、ホタルの里整備事業完了後のホタルの里とし、元の地主さんである横山さんと一緒に現地を確認し、現在の場所に再生することになりました。 その時の現地は、地表を枯れたチゴザサが覆っていて、枯れたヨシ、コガマなども残っていて、中に入っても、足が潜るようなことは無い状態でした。 そこを、横山さんの指導を受けて、草の根を掘り出して、土は田圃に戻して、取り出した根は、隣地境界の竹垣の下に積んで畦をつくり、 横山さんからの要望に沿って、田圃からの排水が横山さんの土地のクワイ畑に入るように水路を掘って、田圃を完成させました。 この田圃再生の活動は根気のいる大変な活動だったので、だいぶ後になってから、当時の北部公園事務所長から「つくれるとは思っていなかった。」と聞きました。 田圃をつくることについては、調査団内から「田圃づくりは自然破壊だから止めろ。」という意見も寄せられ、入団間もない新参者であった私は、様々に嫌がらせも受けましたが、 かわさき自然調査団にしか作れない「自然を保全するための田圃」づくりを目指して、田圃再生活動を続けました。 1 日目 4/15(木)、 2 日目 4/17(土)、 3 日目 4/18(日)、 4 日目 4/21(水)、 5 日目 4/22(木)、 6 日目 4/28(水)、 7 日目 4/29(木)、 8 日目 5/1(土)、 9 日目 5/2(日)、 10 日目 5/7(金)、 11 日目 5/9(日)、 12 日目 5/12(水)、 13 日目 5/13(木)、 14 日目 5/17(月)、 15 日目 5/18(火)、 16 日目 5/21(金)、 17 日目 5/22(土)、 18 日目 5/23(日)、 19 日目 5/25(火) と、19 日間かけて、田圃を再生し、5/27(木) に、初めての田植えを行いました。 田植えの時に集まった皆さんは、次の写真に写っていますが、写真中央、垣根の向こう側に横山さんも参加して、祝ってくれました。 横山家が息子に引き継がれてから、同様の苦情が寄せられるようになりましたが、 15年が経過した下の田圃には、国の絶滅危惧IB類のホトケドジョウ、クロセンブリ、ヤマトクロスジヘビトンボ、マメゲンゴロウ、シオヤトンボ、マユタテアカネなどが棲息している重要な水辺として 保全管理しています。 横山さん(父親)がクワイ畑に使っていた場所を畑にするために、下の田圃の水が侵出しないようにしろという要求は無理なことです。 昔は田圃が広がっていた土地を同じぐらいの高さで畑に転用しようとすることに無理があります。 親の代には、用地売買の際に、環境教育のための田圃を残すように要望していながら、 親が大事にしていた梅の大木を伐採し、クワイ畑にしていた田圃跡を畑にするから、生田緑地内の田圃も埋めろという要求には、合理的な正当性は認められません。 ハンノキ林地区のアズマネザサ刈り 日時 2020/1/14(火) 10:30〜13:00 場所 萌芽更新地区 A06、ハンノキ林地区 A07 参加者 岩田臣生(11/50〜)、岩田芳美 現地協議を終えてから、ハンノキ林地区のアズマネザサ刈りに合流しました。 活動中に黒く輝く実を見つけました。スイカズラでしょうか。
かわさき自然調査団の活動
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